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日本語はディベートにはむかない。
その1つとして主語をはっきりさせないのが日本語で、文化そのもの。前回のエッセイでそう書いた。
その点英語を使ったディベートは、まるで英語法廷劇をやっているみたいに、いきいきと堂々と
胸をはってできる。高校の時、ESSで「夕鶴」という英語劇にでたがそのときの気分とかわらない。
英語を話しているときは役者。
役柄としては、日本を離れた国籍不明のあやしいガイジンになっている。

さて、今回は英語と比べて、日本語をつかうと気持ちが穏やかになり、おとなしくなっていくという
現象について。来日して20年以上たつ評論家、呉 善花(お そんふぁ)さんが
「韓国人から見た日本人」いう題で講演をされた。灯台もと暗し。
日本人が気づかない日本語受身形のおもしろさについてユーモアを交えて小気味よく指摘され、
交詢社午餐会をおおいに沸かせた。一部をちょっと紹介してみよう。

呉さんいわく、
「日本に来るまで、あの原爆に対してアメリカに対して恨みつらみですごいのじゃないかと
思ったのですが、誰一人恨みつらみを持たないです。一体誰なの?戦争というのは。
これは1つの自然災害と同じく考えているのです。まるで地震であるとか火山であるとか、のように。
地震が悪かった、火山が悪かった、台風が悪かったということがないように、だから水にながす
仕方がない諦める。こんなのは外国人にはない発想ですけれども、日本人にはとても強くあって、
いずれにしても責任転嫁を何かに、他人にしないようにというのが受身形のあり方に本当に
よくあらわれていること。しかしそれを使えば使うほどなぜか気持ちが穏やかになっていくのです。
おとなしくなっていくのです。相手が悪い、 あなたが悪いと言うことを言えば言うほど
もっとカッカッとする韓国人。わたしもそうでした。」

この部分を聞いたとき、米国人に詰問されたことを思い出した。
詰問することは嫌いだけれど「される」ことは得意。何かの折、島国だから仕方がない、
同一民族だから仕方がない。まぁ「仕方がない」の大連発をしてしまった。
「どうしてあなたはすぐに諦めるのか?」と詰問された。うーん・・・・ そこで答えは「仕方がない」(笑)

「水に流す」も英語に訳せない。「諦観」「含羞」これも訳せない。
だってそんな文化、外国にはないもん。水が豊富なところ。
禊の習慣のないところでないと「水に流す」の意味はわからない。桜の花が散るところをみて歌を詠む。
はにかみに知性を感じる。これも理解するのは難しいだろう。でも、日本人にはわかる。風土だから。
曽野綾子さんのファンだが、こんなディベート批判を書いている。「私がディベートを嫌う理由は、
今は亡き明治生まれの母が生きていたら、“人さまの前で、言い争いをするなんて、何てはしたない”
と言うだろう、と思うからだ」ぼくのお袋も明治生まれ。30年前になくなったが「口達者より、
穏やかなひとがいい」といっていた。「させていただきます」が口癖であった。

結論だが、「日本語の受身形を大切にしよう、この”気持ちが穏やかになる日本語の美しさ”を
再認識し、外国に宣伝しよう、ディベートは日本語でも、英語でも、法廷劇として、
頭を鍛えることを目的としたゲームとして、舞台にあがる役者のように厳しく練習しよう」である。

「人は生きている」のではない、「生かされている」
こんなふうに、受身形を使うと謙虚になる。
「させていただきます」が争いを防ぐとぼくは信じている。

2007年


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