ホーム
Coaches クラス案内 暗唱(動画) スピーチ(動画) ディベート(動画) お笑い処(動画)
テキストがない研修 タブラ演奏(動画) TOSHI流 スピーチエッセイ集 ディベートエッセイ集 ユーモアエッセイ集





イラスト&エッセイは東海林さだおと三谷幸喜。物の見方、考え方は曽野綾子から多くを学んでいる。
最近、曽野綾子著「ほどほど」の効用(祥伝社黄金文庫)をおもしろく読んだ。
そのなかにこんなくだりがある。

「人間は容易に悪くも狡くもなれるのであり、それは一国の支配者から庶民まで例外ではない、
と思っている。つまり私がその場におかれたなら、『悪い人』と同じことをやるだろう、という
絶対に近い自信がある。その意味で、私は自分のいい加減なカトリックの信仰に照らしても、
進歩的文化人のようになったら終わりだと思っているのである。いや少なくとも、善人か悪人かをはっきり
分けねばならぬような心理になったら、私の小説が今より更にだめになることはまちがいないだろう。
小説書きというものには、永遠の迷い、永遠の歯切れの悪さ、永遠の卑怯さと弱さ、の自覚が
必要欠くべからざるものだ、と感じているからである」(P26)

曽野綾子はディベートが嫌いである。産経新聞で堂々と「市民権を得たディベートの浅ましさ」を攻撃、
母が生きていたら「はしたない」と言うに違いないと述べている。なぜなら、物事は白黒、勝ち負けで
簡単に分けられるものではない。それを十分な知識もなく体験も熟考もせずに、公衆の面前で
討論するなんて自分には出来ないからだという。上述した文を読んでみて、彼女が新聞に書いた意味が
少しわかった気がした。自分は状況いかんによっては「肯定側」にも「否定側」にもなってしまう、
「迷う、歯切れの悪い、卑怯で弱い人間」である。その人間がいとも簡単に「エイ ヤー」と
勝敗をつけるディベートにはついていけないというのだ。

例えば、こんな題でディベートをしたら、どんなことになるのだろう。
「アフリカでは、黒人は白人から搾取されている」

1976年から毎年、葉煙草の仕事でアフリカのジンバブエに行っていた。
通して13年ぐらいだったと思うが、1980年にローデシアがジンバブエに、首都ソルスベリーが
ハラレに変わる姿をつぶさに見てきた。白人スミス政権から、黒人ムガベ政権に総選挙を通して移行。
建国の父と言われたムガベ大統領は聡明で人々の尊敬を集め、識字率90%を達成、医療機関の
充実はアフリカの手本とされていた。町並みは美しく、豪邸が立ち並び、きれいなゴルフ場や馬場、
公園はいたるところにあり、アフリカのスイスと言われていた理由が納得できた。
しかし、人は金と権力を握ると変わる。政権をとって27年、ムガベ大統領は独裁者として君臨。
2000年、土地改革を断行、白人の大規模農家経営者から土地を没収、黒人小作人に分け与えた。
多くの白人は、殺戮や略奪にあうか、国外脱出。友人のHUNTは、自宅で撲殺された。
欧米や世界銀行の警告を無視したムガベは、経済制裁をうけたが、それに全面的に抵抗。
報道規制を強化、詳しい惨状は外に報道されていないが、経済は壊滅状態。
不正選挙では、マタベレランド大虐殺といわれる20000人が殺された。

ストーリーを簡単にまとめると、搾取されていた黒人は、白人の資産を略奪。
ところが、生産技術が無い故に縮小生産に追い込まれ、最後に経済が破綻したということになろうか。
モザンビークも同じ運命をたどった。これを知ったとき、上記のディベートの「搾取」という
言葉の定義自体がディベートになる。いわゆるDefinition Debateというやつだ。
現場にいかずして、軽々と「搾取」という言葉を使えるのか。現実は、搾取どころか雇用を創出し、
原住民の経済的安定を成し遂げた白人こそ、黒人にとって恩人だったのではないかとさえ
解釈できるのだ。搾取か雇用創出なのか。定義は現場を知っている人だけが可能だ。

曽野綾子は続ける。

「人間は決して平和だけを希求する動物ではない。人間はあらゆることで、人を殺す。
興味でも恐怖ででも、報酬のためででも、人間の本性のなかには、
生み育てる本能と殺す本能とがどちらも組み込まれているという実感を持つ。
その現実を、貧しさや異文化の中に実際見たことのない人だけが、
平和は語り伝えられるし、それで解決が可能だと思う」(P77)

重い言葉である。

2008年 


 目次へ